栄養学部教員コラム vol.67
2013.08.15 管理栄養学科 角田 光淳
人生一度や二度、自分の境遇を運命と考え、喜んだり悲しんだりしたことがあるはず。 今の友人との出会い、また就職に何度も失敗し、その境遇に運命や宿命があるとすれば、不合理なる偉大な神の仕業である。 そのように捉えるなら、ラッキーには「神様ありがとう」、そうでなければ、努力ではいかんともし難い神が与えし試練と納得するか、誰かを恨むかである。 だが自分を嘆き、神の不平等を悲しんでもその宿命が変わるはずもない。 |
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時の流れの中で、自分のしてきたことを選択と行動と捉え、遭遇した幾多の機会を取捨した結果として、現在の境遇があると考えれば、納得できるものである。損得に迷い「天の神様のいうとおり」にしても、そのように自分が選択したことなのだ。宿命の転換には、俺は俺、私は私と覚悟し、志なり目標なり自分の立場をはっきりさせ物事を選択する必要がある。神はお見通しとしても、その志に照らした取捨選択と行動こそが運命の形、足跡を作り上げている実感を得る。志には打開の選択肢があるが、惰性にはない、自覚し行動したとき運命が動く、すっぺったんのこっぺったん、心して択一すべし。 | |
角田 光淳(健康栄養学科)