栄養学部教員コラム vol.119
2017.08.17 管理栄養学科 倉沢 新一
「安全と安心」という言葉がセットでよく使われています。安全と安心は同じ意味の言葉で、たんに調子が良いからつなげて用いているのでしょうか、それともそれぞれ違う意味をもった言葉なのでしょうか。答えは、それぞれ違う意味をもった、違う言葉です。
「安全」は、国際許容安全規格では、「許容できないリスクがないこと」とされています。すなわちリスクが全くないことではなく、リスクがゼロではないが、そのリスクが許容できる程度のリスクであれば安全としています。
水道水で考えてみましょう、水道水による危険を低くするために塩素消毒やろ過処理を行い、水に含まれる微生物や化学物質を処理しています。それでは、処理後の水道水には、一般細菌数が0で、化合物が一切含まれていないのでしょうか。答えはNoです。それでも、飲むことで「許容できないリスク」がないから利用されていますし、適切に管理された水道水が原因となった食中毒は近年発生していません。
しかし、水道水は危険だから飲まないという人はいます。この場合の危険は、実際の危険ではなく「安心」できないからということでしょう。なんとなく不安があり、気持ちが悪いといったことでしょうか。このように「安心」は、心理的な要因に関連している言葉です。
食品でも「安全」、「安心」に対する関心がはらわれています。一般の人が食品を選択する場合に、「安全」はもちろん「安心」に大きな関心をはらっています。しかし、絶対の「安全」は存在しないのは事実です。したがって、絶対の「安心」も得にくいものです。
政治家が、「食の「安全」と「安心」を守ります!」とよく言います。そのとき私は、「(許容できるリスクを認めた)安全」は是非守ってください、ただし、あまりにも安易に「安全」を守るというのはいかがなものかと思います。
私は、「ほどほどの安全(=許容できるリスクを認めた安全)」であれば良しとしています。水道水はそのまま飲みます。浄水器を利用したことはありません。無農薬食品をあえて求めませんし、虫食いだらけの食品も排除しません。流通している福島県産の農水産物を食べることにわだかまりはありません。むしろ過大な「安心」を求めることで生じている、いわゆる風評被害による生産者の困難を応援する気持ちを込めて、積極的に利用したいと思っています。
倉沢 新一(管理栄養学科)